カズマプロフィール

カズマです。

ご覧頂きありがとうございます。

現在は物販で月商1500万を突破し、TsF物販コンサルも運営しております。

総フォロワー30,000人以上の方にフォローして頂くことができるようになりました。

もともとは普通のサラリーマンで、平日は朝6時に家を出て、満員電車に揺られ、夜は21時に帰ってくる生活をしていました。

帰ってきたらテレビを見て、風呂に入ってねる。

そんな僕が、どのようにして物販開始4カ月で月商500万円・月利130万円
法人2期目で月商1000万以上稼げるようになったのか?

物販で稼ぐ力を付けてもらうことはもちろんのこと、どのビジネスでも転用できる『ビジネス力』を高めてもらうことを目的として配信しています。

最後まで読んで頂ければ、その秘密がわかると思います。

中学時代

中学時代野球部。副キャプテン、ピッチャー、3番打者。

県大会に行けない弱小チーム。

少年野球では県大会に行くぐらいのチームだったので、流れに任せて野球をやっていた。

何に向いているかは自分ではわかっていない。

田舎の小さな中学校だったので、陸上大会に関しては各部活から足の速い人を引き抜いて即席で大会に出る。

そこで110メートルハードルという種目に出会った。

中学3年生のとき、たまたま110メートルハードルで県大会にいくことができた。

県大会では転んで予選敗退。

高校では野球をやるか?陸上でやるか?悩んでいた。

しかし父親は見抜いてくれていた。体系、性格的に陸上に向いていると。

当時中学生の僕は自分自身で決めたつもりではあったが、今思うと父親が陸上に向いていると見抜きうまい具合に誘導してくれたと思う。

感謝。

のちに陸上を選び良い方向へと向かう。

高校時代

高校からの陸上推薦は県大会に出れたこともあり2高あった。

1つが私立で全国大会にバンバン出ている高校から陸上推薦

もう一校は偏差値もそれほど高くなく、ヤンキーが多いあまり評判のよくない高校。

普通なら私立で全国大会にバンバン出ている高校を選ぶだろう。

しかし父親は見抜いていた。
偏差値もそれほど高くなく、ヤンキーが多いあまり評判のよくない高校に入ることになる。

この高校に入った理由は今思えば2つある。

当時は僕は何もわかっていなかったが、父親は見抜いていた。

一つは当時世間的にそれほど認知はされていなかったが、優秀な先生がいた。

その先生は、初動負荷というトレーニング取り入れる。

今では当たり前だが、当時はイチローや伊東浩司(元100メートル日本記録保持者 10秒00)などが取り入れていたトレーニング。

簡単に説明すると、普通筋トレをすると筋肉が固くなり柔軟性がなくなりケガにつながりやすくなるが、柔軟性をつけながら筋肉をつけるトレーニング。

このトレーニングを取り入れていた。しかもハードルとハンマー投げに関しては独自の理論を持っている先生だった。

学校の環境はそれほどよくないが、この先生の理論を見抜き父親はこの高校を選択してくれたのだと思う。

もう一つは僕は集団教育ではなく、個で自由に伸び伸びと練習した方が成果を出せるタイプだった。

今自分の仕事をしている理由もそこにある。

当時の僕は、父親に勧められたというより自分の意志で決めたつもりだけど、今思えば父親が上手く誘導してくれていた。

この教育が答えを教えるのではなく『答えを導き出す方法を教える』という考え方につながっている。

この選択が見事に当たった。

結果、高校3年生で関東大会決勝に出場。

決勝で6位に入ればインターハイ(全国大会)に出れるが、8台目のハードルにぶち当たり転びそうになり結果7位。

0.02秒差で全国大会に出れなかった。悔しかったが大学に行ってからどれだけ化けることができるのか!

自分に期待していた。

この時、唯一父親の前だけでは涙した。
しかし『大学に行ってからの活躍を楽しみにしているぞ!』
父親のこの言葉がなによりも嬉しかった。

今思うと家族に恵まれていたなとつくづく思う。

今、二人の娘が生まれ誰よりも子供を大切に育てようという思いは、両親の教育から間違えなくきていると思う。

高校時代学んだことは、できると思うことがどれほど重要か。

正しい理論のもと、正しい努力をすればセンスがなくても結果は出るということを学んだ。

中学までは自分に自信は一切なかったが、高校で自分に自信がついた。

大学時代

国際武道大学に入学。

いくつか推薦をいただいたが、この大学を選んだ理由は高校時代の先生が推奨していた初動負荷トレーニングを大学の先生も推奨していた。

また、大学の先生は世界陸上に出場するほどの選手として一流でだった。

理論が似ていて、尚且つ選手としても結果を出している先生がいたのでこの大学に行くことに決めた。

期待を持って大学に行ったが、周りは凄い選手ばかり。

全国大会に出ているのは当たり前。日本ランキングTOP10に入る選手もいた。

正直、身体能力は全然及ばないと思った。

1年生、2年生は全く結果が出ず。怪我にも苦しみ高校時代の自己ベストを更新することもできなかった。

結果は全然出なかったが、3年生になりハードルチームのキャプテンに選ばれた。

これが僕の人生において大きな変化だった。

キャプテンなのにこの結果はマズイ。

正直追い込まれていた。
今までは結果が出ればいいなという思いで練習していたが、結果を出さなければという思いに変わっていった。

大学3年生でやっと高校時代を上回る自己ベストが出た。全国大会に出れる標準記録も突破した。

この時、環境はものすごく大切ということを身に染みて感じた。

自分よりレベルの高い選手を見ることは大切だが、自分ごとでレベルの高い選手をコピーしなければ意味がないと思った。

憧れていてはダメ。追いつく、追い越すためにはどこを盗み、抜きたい選手以上の理論を持ち、努力をすることが大切だと思った。

これは今のビジネスでも間違えなく生きている。

キャプテンになり、今まで人前で話すなど一切できなかったが、毎日人前で話すことによりなれていった。

また、人をまとめるにはどうすればよいか?を学ぶこともできた。

この経験から僕自身、別人のように変わったと思う。

僕は全国TOP50程度の選手だったが、強い選手もいてチームとしては全国1位になることができた。

3年生の冬季練習ではぐんぐん力を伸ばし、このままいけば全国大会決勝に行けるぐらいの力は付くという確信があった。

大学4年生シーズン初めての試合。

調子は万全だった。
大学生最後の集大成、必死に今まで努力してきた。

必ず結果を出す!今まで応援してくれた両親にも恩返ししたい!
その思いもあり必死に努力してきた。

しかし悲劇は起こった。

ハードル3台目踏切。

思いっきりぶち当て、転んだ。

右足首に激痛が走った。痛すぎて息ができなかった。

一瞬なにが起こったかわからなかった。

30分後、徐々に痛みが引いてきて我に返った。

やってしまった。

過去に右足首の骨折をしたことがあったので、診察をしなくてもわかった。

これは終わった。

わかっていたつもりだが受け入れることができなかった。

頼むから骨折はしてないでくれ。祈りに祈った。

しかし結果は残酷だった。

骨折。全治3カ月。

僕の陸上人生は終わった。

過去に骨折をしている部位だったので、手術をしてもベストパフォーマンスまで戻すことはできないという診断だった。

受け入れることができなくて色々な病院を回った。

大学の教授に紹介状も書いてもらい、オリンピック選手などのトップアスリートが診察を受ける先生も紹介してもらった。

しかし結果は変わらなかった。

1カ月ぐらいは受け入れることができなかった。

22年間生きてきた中で一番の挫折だった。

しかしこのまま立ち止まっているわけにもいかない。

父親に相談した。

『ビジネスの世界も面白いぞ!』と

今までスポーツしか行ってこなかったので、ビジネスの知識は全くなかった。

『東証一部上場』と聞いても何語ですか?ぐらいの知識しかなかった。

父親に相談したところ、結果を出せば出しただけ収入にもなる。

ビジネスには怪我などないから、思う存分努力できるぞ!と

面白そうだなと思ってどんな会社があるのか色々調べてみた。

スポーツしかやってきていない僕は特別なスキルもないので、結果を出せば収入が増える営業職を選んだ。

いずれ自分で会社をやってみたいとも思っていた。

父親に自分でビジネスをやるなら何を学んでおいた方がいい?と相談したところ営業をやっておけとアドバイスをいただいた。

そして営業職に絞り就活を行った。

面接は得意だった。キャプテンをやっていて毎日人前でしゃべっていたのもあり面接は楽しかった。

社会に出たらどんな夢を持った大人がいるのか?興味深々だった。

3社内定をもらい、3社の中から直観で就職先を決めた。

社会人

社会人1年目。

行う仕事は飛び込み営業。

一日50~100件ぐらい飛び込み営業を行った。

まわりの10倍ぐらい行動はしていたが、入社1~2年目は全く結果が出なかった。

陸上で結果を出していたのもあり、学生時代と社会人のギャップで精神的にもかなり参っていた。

その時頑張ろうと思わせてくれたのは、右足首の傷の跡だった。

大学4年生の時、怪我で挫折したことを思い出した。

あの時は怪我で努力したくても努力できなかった。

でも今は好きなように努力ができる。

こんなことでめげていては過去の自分を否定することになる。

そう自分に言い聞かせて、毎日地道に頑張った。

今でも右足首の傷跡を見るとモチベーションにつながる。

断られても同じ会社に10回以上訪問したこともあった。

このぐらい訪問すると、契約をもらっていないのに担当者と仲良くなっているという謎の現象もおこった。

のちにこの人間関係が功を奏す。

ついに3年目花開いた。

数をこなすと、こういう理由で契約が取れるんだ!

顧客の潜在ニーズ、役職によっては会社にとっての合理的なメリットより、自分の立場がよくなるのであれば商品を買ってくれる。
こんなことまでわかるようになってきた。

3年目に飛び込み営業から1億円以上の契約を受注。

その契約をくれた会社は飛び込み営業に10回以上行っていた会社だった。

たまたま運よく取締役と話すことができ、商談を進めてくれた。

こんな素晴らしいご縁もあり、2000人いる営業マンの中でTOP10に入ることができた。

20代では僕1人だったと思う。

ビジネスの世界もスポーツと同じで努力すれば結果は出せるんだ!という自信になった。

4年目、5年目とサラリーマンを続けていたが、サラリーマンで結果を出しても人生は変化しない。

1億以上売ってもインセンティブは30万円程度。

サラリーマンであれば当たり前のこと。

独立しないと人生は変化しないんだなーと思っていた。

当時は現代のようにYouTubeやSNSがある時代ではないので、何をすればよいかがわからなかった。

何から始めればよいかがわからなかったので、起業する上で一番プラスになる資格の勉強をしようと思った。

色々検索していたら中小企業診断士という資格が出てきた。

いずれ起業するために役に立つだろうと思って予備校(TAC)に入った。

資格を取るのに100万ぐらい投資したと思う。いま思うとこのころから自己投資はしていた。

しかし今まで勉強はほとんどしたことがなかったので苦労した。

予備校には東大を出た生徒などもいて、勉強では到底勝てないなと思った。

倍以上やるしかないと思い、平日は仕事終わりに5時間以上、休日は12時間以上勉強した。

勉強時間をエクセルの表に打ち込み、数字(勉強時間)が上がっていくのをモチベーションにした。

しかし受からず、、、

2年目もう一度挑戦しようと思っている時、大学の先輩が一本の電話が来た。

年収1000万円以上稼いでいて、営業でもトップセールスの知り合いがいる。

独立しようと考えているカズマは会えば勉強になるとおもうよ!

若干怪しいなとは思ったが、百聞は一見に如かず。

信用できる先輩からの電話だったのでとりあえず会ってみることにした。

ネットワークビジネス

千葉県船橋駅の近くにあるサイゼリヤでお茶をした。

お茶!?飲みにいかないのかー

まあお酒そんなに好きじゃないしいいかーと思いサイゼリヤに行った。

最初は大学の先輩と世間話をし、30分後ぐらいに年収1000万円以上のトップセールスの方があらわれた。

今思うと全然大したことはないが、当時は年収1000万以上のトップセールスは凄い人のように感じた。笑

軽く雑談をし、アムウェイって知ってる?と言われた。

僕は全然知らなかったので、何ですか?教えて下さいといった。

そこからマーケティングプランというビジネスの仕組みを説明していただきすごい!と思った。

帰ってネット検索してみたがあまりいい噂はないみたい。

そのあとセミナーに誘われた。

自分の目で見てみないとわからないと思い、セミナーに参加した。

若干怪しいとは思ったが、陸上のアジア大会3位の先輩から話がきたし
陸上やっていた僕からしたらアジア大会3位は神みたいな存在だった。

そしてセミナーに参加した。

正直感動した。

最初は疑っていたが、アムウェイに興味を持ったというより
アムウェイを手段として人生を豊かにしている人に興味を持った。

自由に旅行にいったり、毎日家族と一緒にいたりと。

僕が理想とするライフスタイルだった。

僕もこのような人生にしたいと思い、アムウェイは興味がなかったが、
アムウェイをやっている方々の人生に興味を持ちアムウェイという手段を取り入れた。

1.2.3年と寝る間も惜しんで頑張った。

平日はサラリーマンの仕事が終わってから7-8時間毎日稼働
寝るのは毎日夜中の2-3時
朝8時前に起きて仕事にいく。

そんな過酷な環境で必死に人生を変えようと頑張っていた。

1.2.3年とやっていく内情ももちろん見えてくる。

年収3000万円プレイヤーがサイゼリヤのドリンクバー割り勘?

違和感を覚えた。

だんだんプラン、商品は素晴らしいが時代にあっていないということに気づいてくる。

表上では年収1500万円といっているが、借金を抱えている人もいた。

短期的に稼ぎ、あとはボロボロだからこのようなことになる。

確かに20年30年前は、資金が要らなくこれだけレバレッジがかかる仕事はなかった。

今はSNS、YouTube、ブログなど資金がそれほどなくてもレバレッジをかけて大きく稼げる手段はいくらでもある。

しかも変なやり方をすれば、すぐに拡散され悪評は広まる。

ネットワークビジネスの欠点はここにあった。

しっかりやっている人もいるが、誰でもできるのでビジネスの勉強をしていない素人でも参入できる。

そのため適当にやっている人間から悪評が広まり、ネットワークビジネス自体がよくないビジネスという世間的イメージがつく。

そうすると全うにやっている人間も変な目で見られるので、ビジネスをやりにくくなる。

これが現実。

ネットワークビジネスで営業力はものすごくついたし、ビジネスを成功させるためのマインドはついた。

ネットワークビジネス出身者に成功者が多い理由もよくわかる。

グループも100人ぐらいいたので人を束ねるスキルも学ぶことはできた。

しかし現状儲かっているか?というと借金を抱えるほどだった。

月20-30万ぐらいは稼げるが、経費で30-50万とかかる。

セミナーにいったり、商品買ったり、アポイントのお茶代など
毎月10-30ぐらいの赤字を2年以上続けていたので、気づいたら借金300万円以上になっていた。

ここで学んだことは人情などでチームを長期的に存続させることは不可能。

チームとして存続したいのであれば、しっかり儲かるビジネスをやらなければ末端から崩れていく。

100人のトップが赤字経営なのであればそりゃチームは崩れる。

次チームを作っていくのであれば、儲かるビジネス展開をしないと、と心の底から思った。

人情だけで長期的にビジネスを継続することは不可能。

子供が産まれて借金300万のパパ
これはヤバいと思った。

ネットワークビジネスをやっているときは、サラリーマンの仕事が終わってから7-8時間毎日稼働していた。

寝るのは毎日夜中の2-3時。
朝8時前に起きて仕事にいく。

このようなことを繰り返していたので、サラリーマンの仕事も当時は適当だった。

とてもその会社で出世など望めなかった。
サラリーマンの仕事は適当、副業では借金300万以上 奨学金も入れたら700-800万ぐらいの借金。

めちゃくちゃ追い込まれていた。
次はなにかで成功するしかなかった。

会社設立

サラリーマンをやめて会社を設立した。

当時は必死すぎて正直あまり覚えていない。

当時いっちょ前にロレックスをもっていた。
100万前後ぐらいで売れた。

ビジネス書も大量に持っていたので全て売った。

その資金を元手に会社を設立し、50万円ぐらいの運転資金でせどりを始めた。

せどりを始めた理由は、とにかく追い込まれていたので、特別な資格やスキルもいらない
しかもライバルが弱い市場に参入したいと思っていた。

色々YouTubeを見まくって、マルチで借金を抱えてブログで大成功している方を見つけた。

ご存じの方も多いと思うがやまもとりゅうけんさん

正しいことを努力すれば自分も同じようになれるかも。
そう思った。

起業前にブログやライティングで10万ぐらい稼いだことはあったが、もうタイミングは遅いとおもった。

次ビジネスを始めるなら確実に当てる必要がある。

ビジネスを始めるにあたって自分なりの方程式があった。

それは
才能×努力×時流(時の流れ)=成功

成功者がよくいっている方程式ではあると思うが、才能は変えられない。

僕は凡人
努力は人一倍できる。
大切なのは時流だった。

数値のマックスを10とするのであれば、時流8以上のところで戦いたいという考えがあった。

ネットワークビジネスをやっているときは
才能5×努力10×時流1=50だった

時流10で戦えば
才能5×努力10×時流10=500になる
10倍の結果が出る

ネットワークビジネスで20-30万ぐらいは稼げたから
時流10で戦えば200-300万は稼げるという自分なりの方程式があった。

今思えば浅はかな考えだが 笑

やまもとりゅうけんさんがせどりは馬鹿でも稼げるといっていた。

お!これはチャンスかもと直感的に感じた。

せどりをやろうと決めた。

せどりを調べていくと、せどりの中でも色々な手法があることを知った。

新品せどり、中古せどり、楽天ポイントせどり、OEMなど

仕入れ方法も店舗、電脳、自社商品、卸など色々な方法があることを知った。

僕になにが向いているのか?
その時の僕の状況は、時間はある。資金は50万前後しかない。

ということは、ライバルが弱く、継続的に安定した収益を上げることができ、
努力すれば成功確率が高く、利益率が高い手法を選択しなければいけないということはわかった。

資金がないので利益率が高いビジネス、、、、

調べたら中古ということはわかった。

では時流はどうなのか?

まずは中古という市場。

調べてみると日本人口は減っていて物の売れる量は減少しているのに、リサイクル市場は伸びている。

しかもここ10年で市場規模は倍以上。

2025年には今の1.5倍近くのびる市場と予測されている。

リサイクル市場は参入してOKだなと思った。

あとは販売先、メルカリ、Amazon、ヤフオクなどで商品を買う人は増えているのか?
これを調べる必要があった。

EC化率と呼ばれるが
これもすごい勢いで伸びている。

仕入れも販売も完全に時流にのっている。

これなら正しい方向性で努力すれば確実に成功できる!
そう思った。確信に変わった。期待6割不安4割ぐらいだったかな

正直当時は必死すぎて覚えていない笑

せどりを始める

1カ月目

最初は必死だった。
車をもっていなかったので電車移動
都内に住んでいたのが良かった。

スタートから1週間は毎日、15時間ぐらい店舗回った。

店舗が始まる10時に行き、ブックオフなどが20時にしまったら
ゲオ、ドン・キホーテなど24時までは回ると決めて頑張った。

しかし1週間回って見つかった利益商品は3つ程度。

見込利益数千円
時給100円程度
本当に稼げるのか?

その時は、不安9割 期待1割ぐらいなっていたと思う。

正直これで成功できなかったらもう生きていけないかもぐらいまで考えることもあった。

1カ月間毎日朝10時~24時までは毎日店舗に行く決めて頑張った。

出品や納品は夜中の24時から2~3時間程度やって2~3時頃に寝る。
毎日頑張った。

1カ月頑張ると一日回れば2~3万円ぐらい利益が取れるようになってきた。

最初は、本、家電、一部のフィギュアなどを仕入れしていた。
理由はAmazonの出品規制がかかっていてほとんどの商品が出せなかった。

今は月商10~30万ぐらいですぐに出品規制は外れるが
当時は月商500万を8カ月ぐらい続けてやっと、バンダイ、LEGO、ダイソン、パナソニックなどの主要ブランドの出品規制が外れるぐらい厳しかった。

話を戻すと
このまま続ければ月30~50万円ぐらいは稼げるぞ!という自信になったことは今でもしっかり覚えている。

1カ月目は販売実績利益10万円

まだ生活はできない。家族を支えることはとてもできない。

必死だった。

2カ月目

店舗行けば1つぐらいは仕入れができる。

一日回れば3~5万円ぐらいの見込利益は仕入れができる。

リピート商品も増えてきて得意ジャンルであれば、5.6個リサーチすれば1個ぐらい仕入れになる商品知識、相場を覚えていった。

結果、2カ月目は販売実績で31万円

これはいけると思った。

2カ月目が終わってからは闇雲に仕入れをするのではなく、しっかり目標を立てた。

一日どのぐらいの見込利益を仕入れしなければいけないのか?

時給換算すると、どのぐらいまで引き上げなければいけないのか?

商品はどのぐらいのスパンで売り切らなければいけないのか?(月間商品回転率と呼ばれるもの)

中小企業診断士を勉強していたので多少の財務知識はあった。

初めて中小企業診断士を勉強していてよかったと思った。

ちなみにせどりで成功するのに中小企業診断士の勉強など一切いらない 笑

コンサルつければこのあたりの知識は効率よく学べる。

日々のTODOまで落とし込み、3カ月目はしっかり行動できる緻密な計画を立てた。

3カ月目の目標は販売実績で40万円の利益目標を立てた。

3カ月目

3カ月目はしっかり計画を立てたのでしっかり目標達成。

月利47万!

税金面などを考えたらギリギリ生活はできるぐらいまでは数字が上がった。

この時まだ車はもっていないので、ベビーカーを持って電車に乗る。

子供がのっていないのにベビーカーを引いている理由は、ベビーカーを台車替わりにしていた。

台車をもって電車に乗るわけにいかないので 笑

週に1-2回ぐらいレンタカーを借り、レンタカーを借りた時は絶対に5万以上の見込利益を取る。
取れるまでは家に帰らないと決めて仕入れに行っていた。

レンタカーは5000円以上するので。
当時の僕はかなり痛い出費。

3カ月目に月利47万円を達成したとき
目標を数字に落とし込んで集中力を切らさず行動すれば必ず目標は達成できる。

このままいけば月利100万円は達成できる!確信に変わった。

4カ月目

4カ月目の目標は月商500万円、月利最低100万
あわよくば月利150万を目指した。

4カ月目で初めて一日回って見込利益10万を達成した。

この時嫁に一日で10万円達成したね!すごい!とLINEをもらったことを今でも覚えている。

ここに来るまで苦労をかけてきたので、まじで嬉しかった。
必死に頑張ってきてよかったと心の底から思った。

実はせどりを始めてから一カ月の目標見込利益、一日の目標見込利益を嫁に宣言していた。

嫁に宣言することで達成しない自分はダサいと、自分を律するために報告していた。

コンサルメンバーは僕に報告でもよいが、男性は女性にかっこいいところを見せたい!という心理が働く 笑

そこを上手く利用して、嫁や彼女がいる方は是非真似して欲しい 笑

4カ月目は1日回れば7~10万円ぐらいの見込利益は取れるようになってきた。

リピート商品もかなり増えてきた。

販売実績で月商500万円・月利130万円を達成!

嬉しかった。今まで色々なビジネスに挑戦してきたがことごとく上手くいかなかった。

やっと軌道に乗る日差しが見えた。

4カ月目月商500万を達成してやっとニンテンドー、ソニーの出品規制が取れ嬉しかったことは今でも覚えている。

まだパナソニック、LEGO、ダイソン、バンダイなどの出品規制が外れる気配はない 笑

5カ月目

5カ月目も無事月利100万以上を達成。

6カ月目

6カ月目
月利100万円を切ってしまった。

月利90万ぐらいで着地した

この時、ヤバいと思った。
なにが原因なのか?早急に原因究明しなければと思った。

自己分析した結果、リピート商品ばかり仕入れをして新規ジャンルの開拓を疎かにしていた。

これが理由だった。

ある程度仕入れが慣れてくるとあるあるだが、
リピート商品を仕入れするのは楽。新しいジャンルを新規開拓するのは結構大変。

さぼっているつもりはないが、人間楽したい動物なので自然とこうなっていることが多い。

ある程度仕入れができるようになってきた方は要注意。

まだまだ気は抜けない。

ここで失速するわけにはいかない。

自分を鼓舞し、必死に頑張った。

7カ月

7カ月目
先月の改善点をしっかり意識し、行動した。

ゲームの古い周辺機器、パソコン周辺機器などを新規開拓し月利110万達成。

ビジネスもスポーツも同じだが、集中力が大切。

常にビジネスのことを考え続ける。

集中力がなくなったら数字は落ちる。

このことを常に頭に入れ頑張った。

最初は大変だがこれが習慣になってくる。

歯磨きと一緒だ。モチベーションで仕事をしていたらいずれ終わりが来ることを学んだ。

習慣化することの大切さを再認識した。

習慣化できるようになった7カ月目以降は
月利100万円を落とすことはなくなった。

会社設立から1年半後

ほぼ毎日店舗せどりをバリバリ頑張っていた。

1年目年商5000万円達成し、その実績をもとに融資を引っ張り仕入れ資金も潤沢になった。

月利200万も達成した。

しかし我に返ったら体はボロボロだった。

体には蕁麻疹が出て、熱も出た。

ネットワークビジネスを必死に頑張っているときもこの症状が出た。

体調を崩さないと体が疲れていることに気づかないという性格。

一日15時間以上の労働を1年半も行っていたので当たり前。

家族との時間、旅行もほとんど行っていなかった。

このまま続けていても何のために仕事を頑張っているかがわからない。

家族を幸せにするために、お金が必要なだけであって仕事は手段でしかない。

会社を軌道にのせることに必死でこのことを忘れていた。

何のために起業したのか?なんのためにお金を稼ぐのか?考える時間を作った。

今まで通りのやり方を続ければ確かに稼ぐことはできる。

しかし、人生の幸福度は、お金、時間、家族、仲間のバランス。

どれがかけていてもダメ。これらを考え直し、自分の労働時間を減らしながら収入を上げていくにはどうすればよいか?考えるようになった。

ここから電脳せどりを取り入れ仕入れを効率化、人を使い作業を外注。

1年間の試行錯誤をし、仕入れは3時間で見込利益10~30万円ぐらい取れるようになり、仕入れ時間は3~10分の一に圧縮することができるようになった。

会社設立から2年後

利益も安定し、収益もサラリーマン時代の5倍以上になった。

しかし何か物足りない。

僕は稼げるようになったが、周りに稼げる仲間はいない。

ネットワークビジネスをやっていたとき描いた夢。
自分もまわりの仲間も経済的自由になり、好きな時に旅行に行ったり好きな仲間と新しいビジネスをする。

これが実現できていない。このことに気づき情報発信を始めた。

まず何からすればよいか?これから伸びそうなTikTokでもやってみるか!

とりあえず仕入れ動画を上げてみた。全然いいねもこないし、再生は数十回。

難しいなーでも謎の自信はあった笑

時流にさえ乗れば上手くいく。そう思っていた。

当時TikTokでせどりの発信者はほとんどいなかったので行けると思っていた。

しかし何本上げても再生は数十回。身内のいいねが2~3つくぐらい。

仕入れの動画を上げても全然再生が回らないから方向性を変えてみよう!

そう思って『ハードオフでPS4 300円で拾った?』みたいな動画を上げてみた。

300円のPS4はガチャガチャのプラモデル。

若干のタイトル詐欺 笑

TikTokは今以上に若者向けのプラットフォームだったので、これが意外にうけた。

急にいいねが増え、フォロワーもどんどん増えていった。

100万再生突破し、フォロワーも一気に1000人になった。

見に来てくれる人が増えてきて、仕入れ動画も芋ずる式にバズった。

おーこれはいける!と思った。しかし仕入れ動画にはアンチコメントばかり。

こんなの売れる訳ない。仕入れても売れなければ意味がない。など。

実際にこれを売って生計を立てているので間違えなく売れるのになー。

初めての情報発信だったので正直ショックだった。

しかし、せどりは稼げる確信があるし、人生を変えるチャンスを提供している自負はあったのでやめようとは一切思わなかった。

僕みたいにせどりを手段として人生を変える人は絶対出てくるという確信はあった。

正直そういう目標をもっている人にだけ刺さればいいと思っていた。

そこから継続し、TikTokは順調に伸びていきフォロワー28,000人になった。

順調に伸びていると思っていた矢先だった。

急にアカウントBAN。

詳しい人にアドバイスを聞いたり、TikTokに問い合わせもしたがアカウントが戻ることはなかった。

正直ショックだった。1年ぐらい頑張って育ててきたアカウントが0に。

ただその時ショート動画には違和感があった。

正直ショート動画で伝えられることには限界がある。(短尺なので)

詰め込める情報量も少ない。商品が売れないなど勘違いされることも多い。

せどりをきっかけに人生が変化した僕にとっては正直勘違いされることは辛かった。

動画の通り正しい努力をすれば絶対結果は出るのに。

もっと細かい情報を発信し、せどりで人生を変えることができるということをわかってもらうために
長尺動画(情報量の多い動画)を出せるYouTubeをやろうと思った。

YouTubeを本気で頑張ろう!と思った。

これが2年前ぐらい。

YouTube本格稼働

YouTubeを本気で頑張り始めたら、カズマさんのYouTubeを見て稼げるようになりました!

YouTubeを見て利益商品が見つかりました!

カズマさんはコンサルやっていないんですか?

などTikTok(短尺動画)ではあまりなかったお言葉をいただけるようになった。

めちゃくちゃ嬉しかった。

このような意見を多くいただき、YouTubeで伝えられる内容には限界がある。

個別でアドバイスすればもっと稼げる人が増える!そう思った。

個別で直接アドバイスができるコンサルをやってみようと思った。

稼げる人がまわりに増えれば、目標としている『お金』『時間』『家族』『仲間』を得ることができる。

ネットワークビジネス時代目標としていたライフスタイルを実現することができる。

時間とお金を得ている仲間たちと家族ぐるみで旅行に行ける!

そんなことをイメージし、コンサルを始めた。

TsF 物販コンサルを運営

TsFのコンセプトは『経済的自由を手に入れ家族や仲間と人生を楽しむ』

僕のことに興味を持って一緒にビジネスを頑張れる仲間を募集した。

1人でも来てくれたら嬉しいな。そんな思いで始めた。

意外にも反響があった。嬉しかった。

YouTubeを見て結果を出しご報告いただける方は一部だったが、コンサルを始め個別でアドバイスすると
本気の方はみるみる結果を出していってくれた。

コンサルメンバー実績・対談動画はこちら

僕のYouTubeは仕入れだけではなく、数字のこと、ビジネスの考え方など少し難しい内容を発信している。

これらを理解できる優秀な方々が集まってくれた。

優秀な方々が僕と同じ手法で行うので、行動さえしっかりしてもらえれば結果ができるのは当然。

『カズマさんのおかげで人生変わりました!』

このご報告が一番うれしかった。

稼げました!ではなく、人生が変わりました!これが一番嬉しい。

仕事やお金は、人生の幸福度を上げるための手段にしかすぎない。

だから人生が変わりました!というワードはなによりも嬉しかった。

誰でも人生を変えることはできる

せどり開始4カ月で月商500万円・月利130万円と聞くとセンスがあるからできたんでしょ?と思う方も多いかもしれない。

しかし僕は、せどりを始める前に人一倍失敗をしてきている。

陸上で挫折、営業で全然結果が出ず、中小企業診断士は受からず、ネットワークビジネスでは借金300万、ブログでは全然稼げず。

これらの失敗をしてきたから、せどりでは普通よりは速く結果が出ただけ。

誰よりも失敗をしてきている。

僕もせどりを始める前は不安ばかり。

また失敗するのではないかというトラウマが何度も蘇った。

1週間本気で頑張って全然結果が出なかった時は不安しかなかった。

しかし1円でも稼いでみると、もしかしたら自分にもできるかも!と思った。

結果が出れば出るほど自分にもできる!どんどん自信になっていった。

迷っている方はまず挑戦してみてほしい。
とにかく行動に移してみてほしい。
必ず違う景色が見えてくる。

せどりは特別な資格もいらない。

脳みそ筋肉の僕でもできた。

まずは一歩を踏み出し頑張ってみて欲しい。

0→1を達成すると全く違う景色が見えてくる。

本気で人生を変えたい!と思っている方はTsF物販コンサルの個別無料相談へ

やる気のある仲間たちと最高の人生に。